法話

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阿弥陀様の救いの目当ては? 〜凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味を味わう〜

お朝夕のお勤めで唱えさせていただく『正信偈』の中に、次の一節があります。凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味(ぼんしょう・ぎゃくほう ひとしく回入(えにゅう)すれば、衆水(しゅすい)海に入りて一味(いちみ)なるがごとし)凡夫であれ聖者であれ、また...
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なぜ『供養』と申さないのか

「供養」という言葉は、私たちの暮らしの中に、すっかりなじんでおります。お墓参りをすること、法事をつとめること、お仏壇に手を合わせること。それらをまとめて「供養」と呼ぶのが、ごく当たり前になっております。ところが、浄土真宗のお寺で話を聞いてお...
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わたしはその手が好きです

この記事のタイトルは、福山雅治さんの「道標(みちしるべ)」という曲の歌詞から、一節をお借りしたものです。著作権に配慮して、歌詞の全文をここに載せることはいたしませんが、この曲は、福山さんが敬愛されたおばあ様を思って作られたものだそうです。こ...
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摂取不捨 ―逃げる私を、追いかけて―

今回は、浄土真宗で大切にされる「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」というお言葉について、ご一緒に味わってみたいと思います。「摂取不捨」とは『仏説観無量寿経』というお経に、次のような一節があります。光明はあまねく十方の世界を照らし、念仏の衆生を摂取...
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お盆に思う ―出会わせていただくのは、私たち―

蝉の声が響き、今年もお盆の季節が近づいてまいりました。ふるさとへの帰省や、家族そろってのお墓参りを心待ちにしておられる方も多いのではないでしょうか。今回は、浄土真宗における「お盆」の意味について、ご一緒に味わってみたいと思います。お盆とはお...
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経教は鏡のごとし ―私を映し出す「真実の鏡」―

「経教(きょうきょう)はこれを喩(たと)うるに鏡(かがみ)のごとし」――善導大師浄土真宗で大切に敬われる七高僧のお一人、善導大師(ぜんどうだいし)が残されたお言葉です。「経教」とは、お釈迦さまが説かれたお経や、仏さまの教えのこと。つまり善導...
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還るということ~還相のはたらき~

皆様、日々お念仏ご相続のことと存じます。さて、本日は「還る」という言葉について取り上げたいと思います。「かえる」というのは、あたたかい言葉でございます。仕事を終えて家に帰る。お盆に故郷へ帰る。どこであれ、かえる場所があるというのは、それだけ...