蝉の声が響き、今年もお盆の季節が近づいてまいりました。ふるさとへの帰省や、家族そろってのお墓参りを心待ちにしておられる方も多いのではないでしょうか。
今回は、浄土真宗における「お盆」の意味について、ご一緒に味わってみたいと思います。
お盆とは
お盆は、正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といいます。よく言われるのは「ご先祖さまが帰ってこられる時期」ということです。地域によっては、迎え火や送り火をともしたり、精霊棚(しょうりょうだな)を設けたりして、ご先祖さまをお迎えし、お送りする風習もあります。
だからお墓参りをしましょう、手を合わせましょう――そうして普段は離れて暮らす家族も集まり、ご先祖さまを大切にする。古くから受け継がれてきた、まことに有難い慣習です。
しかし浄土真宗では、このお盆を少し違った味わい方でいただきます。
浄土真宗ではどう味わうか
浄土真宗では、亡くなられた方は阿弥陀さまのお浄土に生まれ、仏さまとなられます。そして仏さまとなられた方は、自在に行き来して、常にこの私のためにはたらいてくださっているのです。
ですから、「お盆の時期だけ帰ってこられる」のではありません。私たちは、いつでも、どこにいても、常に救いのはたらきの中を歩ませていただいている。
場所や時期を選ばないのが、阿弥陀さまのはたらきなのです。
ですから浄土真宗では、迎え火や送り火といった「お迎えする」「お送りする」ためのお飾りは、本来用いません。お迎えしなくても、お送りしなくても、仏さまとなられた方は、いつでも私とともにいてくださるからです。
では、浄土真宗にお盆は必要ないのか
「いつでもどこでもはたらいてくださっているのなら、お盆は必要ないのでは?」――そう思われるかもしれません。しかし、そうではありません。
振り返ってみると、日ごろの暮らしの中で、お念仏よりもその他のことに心を奪われていることの方が多い――それが私の姿ではないでしょうか。
仏法に触れるときは「有難いことだなあ」と大切に味わうのですが、普段は仕事に追われ、用事に追われ、仏さまのことはすっかり忘れている。お仏壇の前に座っても、頭の中は今日の予定でいっぱい――そんな姿がほとんどです。
仏さまはいつでもはたらいてくださっているのに、私の方が背を向けている。それが、偽らざる日ごろの私の姿なのかもしれません。
だからこそ、お盆がある
仏さまは常にはたらいてくださっている。では、お盆に「出会い直す」必要があるのは誰なのか。
――実は、出会わせていただいているのは、私たちの方なのです。
日ごろの忙しさから離れ、ご先祖さまを大切にしのぶ。その中で、ふと日ごろの自分の姿に気づかせていただく。
「ああ、そういう私だったなあ」
仏さまのことを忘れて暮らしていた私。それでも変わらずはたらいてくださっていた阿弥陀さま。そのことに気づかされ、そしてお念仏をいただくのです。
お盆に家族が集まり、亡き方の思い出を語り合う。おじいちゃんはこんな人だった、おばあちゃんにはこんなことを教わった――そのひとつひとつの語らいもまた、仏さまのお慈悲に出会わせていただく尊いご縁です。
お盆は、ご先祖さまをしのぶとともに、仏法に出会い直す大切なご縁です。どうぞこのお盆、お寺やお仏壇の前で、ゆっくりと手を合わせる時間をお過ごしください。
合掌

