願以此功徳のこころ

お勤めの最後に、必ず称える四句がございます。願以此功徳(がんにしくどく)、平等施一切(びょうどうせいっさい)、同発菩提心(どうほつぼだいしん)、往生安楽国(おうじょうあんらっこく)。讃仏偈(さんぶつげ)でも、正信偈(しょうしんげ)でも、阿弥陀経でも、締めくくりはいつもこの四句です。「回向句(えこうく)」と申します。

皆様は、この四句をどのようなお気持ちで称えておられますでしょうか。意味はよく分からないけれど、お経の終わりの決まり文句として。あるいは、いま読んだお経が、亡き方に届いてくれますように、と。そのようなお気持ちの方も多いのではないかと思います。

今日は、この四句がもともとどこにあった言葉なのか、そこから尋ねてみたいと思います。

同じ時に生まれ合わせた皆さん

回向句は、善導大師(ぜんどうだいし)のお言葉です。中国・唐の時代、七世紀の方で、『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』の注釈書『観経疏(かんぎょうしょ)』を著されました。その冒頭に置かれた偈(げ)が「帰三宝偈(きさんぼうげ)」で、回向句はその一番最後の四句にあたります。

帰三宝偈は、「道俗時衆等(どうぞくじしゅとう)」という呼びかけから始まります。出家の人も、在家の人も、いま同じ時に生まれ合わせた皆さん、という意味です。生死の迷いはなかなか厭(いと)いがたく、仏法はなかなか願い求めがたい。だからこそ、ともに金剛のような志を起こして、阿弥陀さまの世界に入らせていただこう。そう呼びかけて、仏・法・僧の三宝に帰依する礼拝が続き、その末尾に、この四句が置かれています。

浄土真宗本願寺派では、この帰三宝偈を出棺のお勤めに用います。厳かな偈でございますが、不思議なことに、末尾の四句だけは葬儀に限らず、朝のお勤めにも、ご法事にも、あらゆるお勤めの結びとして、毎日称えられているのです。

書き下しますと、こうなります。

願はくはこの功徳(くどく)をもつて、平等に一切に施し、同じく菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)して、安楽国(あんらくこく)に往生せん
(善導大師『観経疏』玄義分「帰三宝偈」)

願わくは、この功徳を、すべての人に等しく施し、ともにさとりを求める心を起こして、安楽の国、お浄土に往生させていただきたい。そういう意味になります。

ここで一つ、立ち止まってみたいのです。「この功徳」とは、いったい誰の功徳なのでしょうか。

「いただきます」

言葉どおりに受け取れば、「いま私が読んだお経の功徳」となりそうです。功徳とは、善い行いと、それによって備わる徳のことですから、お経を読んだ私の善い行いを、皆さんに分けて差し上げる。そう読めてしまいます。

けれども、お経を読んでいる自分の姿を、正直に眺めてみたいのです。足のしびれが気になる。このあとの用事が頭をよぎる。今日の夕飯は何だろう。その合間に、口だけが動いている。そのような私が読んだお経に、人さまを救えるほどの功徳が備わっているでしょうか。とてもそうは思えません。

親鸞聖人は、『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』にこう詠んでおられます。

如来の作願(さがん)をたづぬれば 苦悩の有情(うじょう)をすてずして
回向(えこう)を首(しゅ)としたまひて 大悲心をば成就せり
(『正像末和讃』)

阿弥陀さまが本願を建てられたわけを尋ねてみると、苦しみ悩む者を見捨てることなく、ご自身の功徳をその者に振り向けることを第一として、大悲の心を完成されたのである。そうお示しくださっています。

回向とは、私が仏さまや亡き方に功徳を差し向けることではありませんでした。阿弥陀さまが、私に功徳を振り向けてくださることでした。「この功徳」とは、私の功徳ではなく、阿弥陀さまが長い長い時をかけて完成してくださった、南無阿弥陀仏の功徳だったのです。

食事の前に、私たちは「いただきます」と申します。自分で作った料理にも申しますが、あの言葉はもともと、いのちと、作ってくださった方に向けた言葉でした。回向句も、それと同じなのだと思います。「私の功徳をあげます」ではなく、「阿弥陀さま、あなたの功徳を、いただきます」。お勤めの最後の四句は、阿弥陀さまへの「いただきます」でございました。

亡き方に届きますように、というお気持ちも、無理に手放す必要はないと思います。ただ、亡き方はすでにお浄土に生まれて仏となり、還り来て、この私にはたらきかけてくださっています。私が功徳を届けるのではなく、その方と同じ功徳を、いま私もいただいている。同じく菩提心を発して、同じ安楽国に往生せん。四句の後半は、そのことを申しているのでしょう。

次にお勤めの最後、この四句を称えられるときには、どうか、阿弥陀さまからのいただきものとして、味わってみてくださいませ。

法泉寺の法座は、どなたでもお参りいただけます。

ご門徒であるかどうかにかかわらず、お申し込みも必要ございません。くわしくは法座・仏事についてのページをご覧ください。

法話